太極拳のイメージ画像

はじめに

気功や太極拳を続けているのに、症状が治せない、人を楽にできない、何も変化が起こせない。そんな人を多く見かけます。

でも本当に気が出せているなら、何かしらの変化を現実に起こせるはずです。

「気を感じる」と「使える」は違う

「気功をやっています」と言う人に、僕はこう聞きます。

「じゃあ、何かできることを見せてください」

いじわるで言っているのではありません。どんなことができるのか、それを見るのが純粋に楽しみで聞いています。

– 人の不調を和らげられるか?

– 体の痛みをその場で軽くできるか?

– 身体の可動範囲を広げられるか?

– エネルギーを相手に届かせて変化を起こせるか?

– 少ない力で相手のバランスを崩したり、力を強くするようなことができるか?

こういった「具体的に何ができるか」を持たずに、ただ気を出しているだけでは何も起きません。

どこに向けて、どう使うのか。そこまで理解していないと、実際には何もできないのと同じです。

気功をやっているだけでは変わらない

これは僕がいろんな気功経験者から話を聞いていて、ずっと感じていることがあります。

そもそも「気を練る練習」と「気を扱う練習」の違いを理解していない人が多すぎます。

たとえば、太極拳のような体操や型をすることは、気を練るための訓練ではあります。

でも、それだけでは自分の症状を改善したり、人を癒したりすることはできません。

つまり気を練ることと、気を使うことはまったく別です。

自分の中の気を強くするのは第一段階。そこからどう使うか、どう相手に届けるかが本質です。

実際に「健康になるために」と教室に通っている人が、ずっと型だけ練習していて、何年やっても気を出せない・使えないままというのは本当にもったいないと思います。

だからこそ、「気功を学ぶ」というときに、**何をできるようになりたいのか?そのためにどんな練習が必要か?**を、最初にきちんと考えた方が良いという意見です。

学ぶなら「何のために」学ぶのかを明確に

「気を感じたい」だけで学ぶなら、それでも構いません。

でも、「使えるようになりたい」「人を癒したい」「仕事にしたい」のであれば、それに必要な学び方をしなければ、時間もお金も無駄になります。

– どうなりたいのか? – 何ができるようになりたいのか? – 誰から学ぶのか?

目的がぼんやりしたままでは、何も身につかないし、現実も変わりません。

まとめ:気功は「感じる」ではなく「使う」ためにある

気功は、感じるだけのものではありません。

使って、相手に変化を起こせてこそ、本当に学んだと言えます。

ただ出せるようになるだけで満足してしまえば、そこで終わります。

けれど、「使える気功」を身につければ、人も自分も、現実も変えられる力になります。

だから、学ぶなら目的を持って本気で学んでほしいなと思っています。