今回は考察の垂れ流しなのでいつもと違う口調なのはご勘弁ください。

宇宙の気を取り込むというのは、あくまでイメージであり実際は違うのではないか。

なぜなら、気で施術していたり、瞑想をしていて、宇宙のエネルギーを身体に取り込んでいる意識や自覚がないからだ。

ないというと嘘になるかも、昔はそういうイメージをもって施術をしていたが、今はないというのが正確だ。

ようは気功やヒーリングをしている時の間隔や知識が明確になってきたがために、そういうざっくりとしたイメージは必要なくなり、より明確な方法でエネルギーワーク行っているというのが現状だ。

非常に単純に気功やヒーリングのやり方を説明すると、1ただ体に意識を向ける、2相手に意識を向ける、3自分の回りの空間に意識を向けるだけである。

この意識の向け方にやり方やコツがあり、このやり方やコツを会得すると気功やヒーリングで施術が出来るようになる。

つまり人や自分を癒せる真の気功師やヒーラーになれるのだ。

真のとは気功師やヒーラーと名乗る人間全員が、エネルギーワークを受けた方を納得させられる実力があれば、真のという言葉は出なくて済む。

しかし紛い物が非常に多いから真のという言い方をした。

施術をしている時にあるのは身体の中のエネルギーが膨張収縮している感覚、開いて閉じて、風船が膨らみしぼむ感覚である。

時には前方に時には上下になど方向は違えど身体の間隔に意識を向けて体の中、もしくは体から放出されるエネルギーを操作するだけである。

操作の方法もざっくり分けると、何も考えずに対象に送る方法か、ある特定の部位を狙って送るかの二通りしかない。

二通りしかないというか今回は二通りのやり方に絞る。

そうすると、人が治る。

気で治療するヒーリングのパワーで癒すというが、治す癒すというのは正確な表現ではない。

なぜなら、気やヒーリングのエネルギーを送ると、送るだけで勝手に治るからである。

理由はまだありエネルギーを送って治るまでのプロセスが解明されていないし、術者が理解していないのに、治るという事は、勝手に治っていく、つまり自動で行われているので、治しているつまり治療しているとは言い難い。

便宜上で治療という言葉を使う事はあっても、治療という考えを持ったことはないし治すと思ったことはない。

なぜなら気功やヒーリングにとどまらず、整体やカイロプラクティック、オステオパシーなど手技療法は治癒力を戻すテクニックだからである。

また治療という言葉は大そうな行為である言うのが本音である。治療とは医師だけに許される高等な言葉である。

また医者や国家取得者に対しての敬意も表している。

無論ネットでの広告表現による違法行為に当たることも踏まえているが、それ以前に、正規のルートを取っていない、無資格者の身分で、有資格者と対等のような言葉遣いは失礼である。

話を戻すと、そもそもみんな気軽に宇宙のエネルギーを身体に取り込んでと使っているが、誰に教えられたのか、誰が言い出したのか、どのように作用するのかも謎なものを、人にお金をもらって説明する際にそんなあいまいな言い方していいのだろうか?と疑問が残る。

さらにはそういうざっくりとした表現で教えて、生徒が育たないのでは何の意味もない。

お金をもらって得するのは講師だけで、肝心の生徒はドブに金を捨てるようなものである。

なので、気功やヒーリングを教える講師や先生と言われる立場の人は、もっと明確に的確にエネルギーワークが出来る方法を言語がする責任があるという意見だ。

明確に的確にとは、どういうことかというと、気を感じる、気を出す、という二点について話すと、気の感じ方、出し方をマニュアル化されているかに尽きる。

ざっくりとした言い回しや、相手によっては伝わらない理解されにくい言い方ではなく、誰にでも伝わる内容やり方で伝えるのだ。

理解度は個人差や、教わった内容が出来るようになるまで多少の練習は必要であれ教えられた側が理解できて体現できるほどの再現性があるかという事に尽きる。

自転車に乗れる人が殆どでむしろ乗れない人の方が珍しいという感じに。

宇宙のエネルギーを体に取り込むというのは、上記を踏まえるとあくまで便宜上の言い回しやイメージしやすいように言われてる一般的な説明の仕方で終わってしまうのではと。

そしてこの宇宙のエネルギーを体に取り込んで出すという、非常に抽象的な言い回しの説明を受けてイメージして、数をこなすのを練習と称して、生徒は教室の時間を費やす。

これでうまくできないのは当たり前の事だ。

教えられる方もうまく理解できないから、当然上手くはなれない、最悪全く理解できず習得できないうちに講座が終わってしまうと結末が待っている。

そうならないために、日々気功やヒーリングなどのエネルギーについて、いかに誰にでも分かりやすく理解できて、使えるようになるにはどうしたら言語化したらよいのか努めている。