「気を練る」とは何か。気を感じるだけで、上達したと言えるのか
「気を練る」と言いますが、そもそも、どうなれば気を練れているのでしょうか。
私が言う「気を練る」とは、ただ気を強く感じることではありません。
気を感じ取り、その気を自分の意図どおりに使えるように、扱い方を磨いていくことです。
どこに、どう使えば、どんな変化が起こるのか。それを自分で分かって使えるようになる。
私は、そこまで含めて「気を練る」と考えています。
気を強く感じられるようになったら、気が練れているのか。
長い時間練習していれば、それで気が練れるのか。
私は、そこで見るべきなのは、結果だと思っています。
自分の気を使って何ができるのか。
以前はできなかったことが、できるようになっているのか。
狙ったことを、より正確にできるようになっているのか。
「自分では気が練れているつもり」という話ではなく、実際に何が変わったのかを確かめる。
今回は、気の練り方そのものではなく、「気を練る質」について話します。
気が練れているなら、その気で何ができるのか
気を練るというのは、自分の気を高めたり、気功が上手になったりすることを指すのだと思います。
では、何をもって「上手になった」と言うのでしょうか。
分かりやすいのは、武術としての使い方です。
気功には武術気功があり、太極拳や合気道の合気のように、強い力を出したり、小さな力で相手を大きく崩したりする使い方があります。
相手にしっかり抵抗してもらったうえで、技をかけられるかどうか。
自分の中だけで完結せず、第三者に通じるかどうかです。
以前は崩せなかった相手を崩せるようになる。
力を込めなければできなかったことが、軽い力でできるようになる。
相手に、より効率よく技を効かせられるようになる。
これなら、上達したことが分かります。
「柔よく剛を制す」が、以前よりできるようになった。
これは、気を練れているかどうかを見るうえで、分かりやすい結果です。
健康のために練るなら、狙った効果を出せるか
自分の体を健康にするため、あるいは人の不調を改善するために、気功を練習している人もいるでしょう。
そのために気を練るのであれば、やはり、その目的に対して上達しているかを見る必要があります。
以前より早く効果を出せるようになった。
短い期間で治せるようになった。
自分や相手の体に、狙ったとおりの効果を、はっきり出せるようになった。
そうなっているなら、気功が上達している、気を練れていると言えると思います。
「だんだん気を感じるようになりました」というのは、まだ初期の話です。
その感じた気を、どう使うのか。
同じ気でも、違う使い方をすれば違う結果が出る。
目的に合わせてやり方を変えられる。
応用が利くようになり、使い方の幅が広がっていく。
そこまでできるようになっているなら、結果として、上手に気を練れているということです。
「気が練れている」と言っても、何もできなければ分からない
反対に、「私は上手に気が練れています」と言っていても、「では、やってみてください」と言われたときに何もできないのなら、どうでしょうか。
それは、「気が練れている気がしている」としか言いようがありません。
自分の中では、強い気を感じているのかもしれません。ありありと気を感じられているのかもしれません。
でも、その気を使って何ができるのか。
気の感覚が強いことと、気を使うのが上手なことは、同じではありません。
感じた気を使って、実際に何ができるようになったのか。
そこまで見なければ、上達しているのかどうかは分からないと思います。
もちろん、気を感じる練習が無駄だと言っているわけではありません。
自分の扱っている気がよく分かれば、使い方を変えたときの違いも捉えられます。
漠然と送っていたところから、感じ取った気を、狙って使うところへ進んでいけます。
私が言いたいのは、「感じられたら、それで上達したことにするな」ということです。
感じられるようになった、その先に使い方があるのです。
私も、最初は漠然と気を送るところから始まりました
私自身、最初から細かいことができたわけではありません。
最初は、漠然と気を送って症状を改善していく、というところから始まりました。
そこから、ピンポイントで狙った部位に変化を起こせるようになっていきました。
凝っている筋肉を柔らかくする。動きにくい関節を動くようにする。
ただ全体に気を送るのではなく、狙った場所に、狙った変化を起こすわけです。
武術的な使い方でも同じです。
最初はできなかったことが、練習を続けることで、思い切り手をつかんでもらっても、軽々と相手を崩せるようになりました。
そこから、つかんでもらう場所を手首から指一本に変えていく。
それでも崩せるようになる。
さらに、どんどん少ない力で、相手を大きく崩せるようになる。
これは、上手になったことが分かります。
単に気の感じ方が変わったのではなく、できることが変わったからです。
首が動かない。その本当の原因が、首にあるとは限らない
最近では、気の流れを読んで、触らなくても「ここに気を送れば、この不調は治るな」と分かるようになってきました。
たとえば、首の動きが悪いとします。
でも、その本当の原因が、首ではなく、恥骨や股関節、あるいは、へその下の下腹部にあることがあります。
気の流れを読んで、「ここが悪い」と分かる。そして、実際にそこに気を送ると、首が楽に動くようになる。
適当な別の場所に気を送っても、首は楽になりません。
狙った場所に送るから、狙った変化が出るのです。
ここまでできるようになってくると、ただ「気を送れます」というだけではありません。
どこに送ればいいのかを読み取り、そこに気を送り、狙った結果を出す。
気を扱う精度が上がっているということです。
私は、こういう変化が出てきたときに、「気を練るのが上手になってきたんだな」と思います。
そして、今まで自分が続けてきた稽古法は間違っていなかったのだと、結果で証明されるわけです。
気を練る質は、できることの幅と精度に表れる
気をありありと感じられる。その感覚自体もあります。
ただ、大事なのは、そのありありと感じた気を使って、どんなことができるかです。
以前より少ない力で、相手を大きく崩せる。
以前より早く、不調を改善できる。
狙った部位に、狙った変化を起こせる。
気の使い方を変えれば、それに応じて違う結果を出せる。
そうやって、使い方の幅が広がり、狙いの精度が上がっていく。
それが、私の考える「気を練る質が上がる」ということです。
練習法は、それぞれにあります。
ただ、その練習が本当に身についているかどうかは、練習しているときの気分だけでは分かりません。
自分の練習を振り返るなら、以前と比べて何ができるようになったかを見てください。
相手を崩すのに必要な力は減ったのか。
不調に対して、以前より早く変化を出せるようになったのか。
漠然と送るだけでなく、狙った場所に、狙った変化を起こせるようになったのか。
気を感じる強さだけではなく、できることがどう変わったかを見る。
そうすれば、自分の稽古で何が身についてきたのかが分かります。
「気が練れている」と言うなら、その気で何ができるのか。
そこを、実際の結果で確かめることが大事だと思っています。


